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【映画評】BECK

2010年09月25日 11:38


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水嶋ヒロ佐藤健

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「シナリオは原作のためではなく、映画のために書かれるものです」

最近「出版妨害禁止等請求事件」において裁判を起こした、
名脚本家・荒井晴彦さんの陳述書にある言葉です。

確かにその通り。

原作は当然リスペクトしますが、
映画と小説だと「文脈」が違うのだから、
一緒のものになるはずはありません。

映画館で『BECK』を観ている最中、
荒井さんの言葉が終始自分の頭の中にまとわりついていました。

それもそのはず。

この作品の一番のキモは、主人公・コユキの歌です。
原作でも、コユキの歌が切っ掛けとなって、
バンドがひとつになり、人が集まり、
次第に自分たちの未来が開けていく、
作品の「起点」としての役割でした。

しかし、この映画は、
コユキに歌を歌わせない。
良く判らないイメージ映像や、
観客のリアクションに逃げてしまっています。

ホラー映画でも、こんな恐い怪物が出てくるんだよ~!
という前段があったら、絶対に恐い怪物は出さなければならない。

でないと、作品そのものが意味がなくなるからだ。
ジェイソンが出ない『13日の金曜日』は、
ネタとしてはあっても良いけど、それは『13日の金曜日』足りえるか?

その意味で、映画『BECK』は、
ドラマの核=コユキの歌をあえて描かなかったことによって、
完全にナンセンスな映画になってしまっています。

要所、要所でコユキの歌のシーンに向かって、
ドラマが突っ走っていきます。
特に桐谷健太が演じる千葉の、凡人として悩みいながらも、
無理矢理にでも前向きで走る姿には心を打たれます。

しかし、そのドラマのクライマックスで、
コユキの歌が出てこなくて、しょぼ~ん。(´・ω・`)

盛り上げて、しょぼ~ん。(´・ω・`)

盛り上げて、しょぼ~ん。(´・ω・`)

盛り上げて、しょぼ~ん。(´・ω・`)

……この繰り返しで、すっかり出来の悪いコントのようになっています。

コユキの歌がよほどの音痴でない限り、
ドラマが盛り上がっているから、
ちゃんと感動できる歌に聞こえるはずなんだけどね。

そもそも、それこそが映像使ったドラマの力なんだし。

この映画を作っている人間は、
映像の力を信じていないのかと思ったら、
聞けばコユキが歌わないのは、原作者の意向だという。

う~~~~~~ん。

ここで再度、荒井さんの陳述書にご登場願おう。

「これから脚色(原作付きの脚本)の仕事をする場合に、
まず目指すことが、いいシナリオを書くではなく、
原作者が気に入るシナリオを書くになってしまうことに絶望を感じました。
悪いシナリオからいい映画ができることは決してあり得ないが、
いいシナリオから悪い映画ができることはしばしばある、
とは私たち、脚本家の間ではよく言われていることです。
そのいいシナリオかどうかが原作者の私意、
あるいは恣意に委ねられてしまうというのでは、
シナリオの未来、映画の未来は絶望的だと言わざるを得ません」

シナリオを映画制作全体と置き換えることもできます。
今回の『BECK』の映画化は、それ自体が不幸だったのかもしれません。

最後に冒頭に戻って、荒井さんの陳述書の続き。

「シナリオは原作のためではなく、映画のために書かれるものです。
そこが分らない原作者は、映画化の申し入れを拒絶するべきだと思います」



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